その日はもう眠っていた。
でも、夜中に日本から電話がかかってきた。
当時の彼女からだった。
「緊急だから。いいからテレビをつけて。大変なことが起きている」
そんなことを言われた。
テレビをつけた。
よくわからない。
でも、テレビでは緊急ニュースが流れていた。
そしてLIVE映像で、飛行機が大きなビルにぶつかるのを見た。
もう、何が起きたのかを説明する必要はないし、説明したいとも思わない。
ただ、あのときのことや、その後のことを鮮明に覚えている。
Before / Afterで、世界が変わったから。
そのとき私は、ニューヨークとは反対側の、カリフォルニア州サンディエゴにいた。
カリフォルニアの西海岸を上から見ると、サンフランシスコ、ロサンゼルス、そしてメキシコ国境近くにサンディエゴがある。
当時、電子部品の会社に入社した私は、機会に恵まれ、入社2年目でアメリカに赴任していた。
今でいうサプライチェーンの担当者である。
世界中の工場で生産した電子部品をアメリカに輸入し、販売していた。
当時、メキシコのティワナには多くの家電メーカーが工場を持っていたので、サンディエゴにも多くの部品メーカーがあったと思う。
事件のあと、
「次はロサンゼルスかもしれない」
という情報も入っていた。
そのため、非常事態体制での勤務になった。
たしか、通常のオフィスではなく、より安全性の高い場所でパソコンに向かっていた気がする。
街では軍隊の姿も確認できる状態だった。
1、2週間がたつと、攻撃そのものへの恐怖が少しずつ薄れ、今度は仕事上の問題が顕在化してきた。
ものが来ない。
アメリカへの輸出では特別な検査が入り、貨物が通常どおり動かなくなった。
ロサンゼルスに到着する予定だった飛行機が、まったく違う空港に着陸することも珍しくなかった。
どんどん在庫がなくなっていく。
ぎりぎりロサンゼルスの空港に到着した荷物の一部を、緊急でトラックを手配してサンディエゴまで運んだこともある。
夜中にラベルを貼り、自分の車でお客様の工場まで持っていったこともあった。
その会社は、今でもスマートフォンやパソコンに重要な部品を提供している会社だ。
日本に帰ってきてからも、さまざまな自然災害やコロナなど、大変なことはたくさんあった。
これからも、きっとあるのだろう。
でも、私が仕事をする中で体験した最初の大きな試練が、9.11だった。
強い衝撃というのは、
時間がたっても、残るものだなと思う。